自分探しの心の旅路
歴史、文化、政治、生活、芸術、様々な広い視野から、『自分は何者か』を探求し、読者の皆さんにも自分探しの道標となるべく、尽力して行きたい。
『日ユ同祖論』…5
ユダヤと天皇家になぜこのような一致があるのか。単なる偶然?
という問いを自分で出しておいて、ユダヤ人の説明に没頭してしまいました。すみません!

とりあえず、ここで言う『ユダヤ人』とは現在言われるユダヤ人ではなく、ユダ王国の2氏族と、北イスラエル王国の失われた12氏族の『イスラエルの民』だというところを押さえといて下さい。

ユダヤ人と日本人のルーツを探る旅に出る前に、時代を下り一致するところを、もう少し(全く少しではありませんが)見ていこう。

皆さんは、古代日本の最大最強の渡来氏族、秦氏をご存知だろうか?
283年、10万人を率いて渡来し、日本へ帰化したとなっているが、未だ多くの謎に包まれている。

大和朝廷の誕生には、この秦氏が大きく関わっているとも言われる。

秦氏のなかでもっとも有名なのは、聖徳太子に仕えた、秦河勝(はたのかわかつ)である。聖徳太子の母は景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰していたが、それも秦河勝の影響ではないだろうか。聖徳太子の本名が厩戸(うまやと)というのも、厩戸の前で生まれたという説があるが、それもイエスの誕生に似ている。生誕地の近辺に厩戸(うまやと)という地名があり、そこから名付けられたという説が有力視されているが、イエスにあやかって付けたとも考えられる。

また、平安京の建設も事実上秦氏によるものと言われる。
「平安な都市」という意味のヘブライ語は「エル・シャローム」、すなわち聖地「エルサレム」のことである。さらに、名称の酷似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京とよく似ていることが指摘されている。

今では言い伝えとなってしまっているが、平安京のマークはダビデの紋章であったと言われている。現在の京都の市章は平安京のマークを図案化したものだと言われているが、どうだろう。
kyouto


日本でも最大の祭りの一つとされる『祇園祭り』の一致は尋常ではない。
ユダヤにも『ZION(シオン)祭り』というのがあるが、どちらも全く同じ日、7月17日に行われる。(ちなみのレゲエでいう『ザイオン』はシオンと同義)

ユダヤの「シオン祭り」はノア一家が大洪水を無事乗り越えたことを祝う祭りで、7月17日は『旧約聖書』でノアの大洪水が終わった日とされているのであるが、日本の祇園祭りを最大に特徴づけている数多くの「山車(だし)」は、この“ノアの箱舟”を象徴しているのではないかと推測する研究家もいる。

この山車の中には、古代ヘブライで用いられた織様と同じ文様を付けたものが存在している。京都市下京区四条鳥丸西入の山鉾「函谷鉾」の前掛けは『旧約聖書』の創世記の一場面を描いた16世紀末のタペストリーである。また、中京区室町通六角下ルの山鉾「鯉山」の見送りは古代ヘブライのダビデ王を描いた有名な図である。

さらに、祇園祭りでは「モーセ山」という言葉が用いられ、祇園祭りと古代ヘブライとの関係に、ただならぬものがあることを感じさせる。

話を、秦氏に戻そう。
いろいろな要素から、秦氏は裏の天皇ではないかと言われる。

記紀によれば、神武天皇が熊野山中において道に迷われた時、熊野権現のお使いとして「やたがらす」が現れ道先案内を務め、そのおかげで天皇は大和の国に入ることが出来、日本初代の天皇として即位されたとされる。


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日本ではこの八咫烏(やたがらす)こそ、裏天皇の意味を持つといわれる。

伊勢神宮には『三種の神器』のひとつである『八咫の鏡』があるというが、本物は誰も見たことがなく、その写しである皇室の神鏡にはヘブライ語が書かれているという。
『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』には、ヘブライ語学者の左近博士が、それを解読するために宮中に呼ばれたと書いてある。そして鏡の文字は「わたしは“わたしはある”という者である」と読めたという。これは『旧約聖書』でモーセが神にその名を問うたときの神の答えの言葉に他ならない。

この話は一時、新聞に紹介されたことがあるらしく、日本在住のユダヤ人ラビ・M・トケイヤー氏が、個人的によく知っている三笠宮にこの記事をご存じか、またこの鏡を見たことはおありかと尋ねたという。ところが、古代オリエントの歴史に造詣が深く、ヘブライ語にも熟達しているという三笠宮でさえ、「新聞記事のことは知っているが、鏡は見たことがない」とお答えになったという。
 殿下でさえ、この鏡を見ることができず、更に驚いたことには、殿下の兄である天皇陛下でさえこれを見ることは許されないというのである。

秦氏は何者か?という問いにきちんと答える学説は今のところない。むしろそれが異様にも思える。

映画『ダビンチコード』に出て来るイエスの末裔。
こんなストーリーを想像してみた。

イエスの没後、300年弱の時を経て、古代の失われた10氏族が目指した東の果ての地『日本』にたどり着いた。もしかしたら秦氏こそが失われた10氏族かも知れない。
その移民族は大和朝廷を起て、深く日本の中枢に入っていった。
祇園の山車がノアの箱船であれば、神社の神輿はヘブライの秘宝『失われたアーク』に酷似している。
794年には平安京をエルサレムと同じように作り上げ、現在も秘密裏に脈々と血を受け継いでいる。
かのイエスの血も、日本の裏天皇として受け継がれているのかも知れない。

伊勢神宮には「失われたアーク」も「イエスを架けた十字架」も保管されているのではないかと言われている。実際にあるはずの日本の三種の神器は、天皇でさえ見る事が許されていない。

現在の宮内庁職員は1,000人いる。

「前方後円墳」という呼び名でおなじみの、大阪府堺市に現存する、ガザのピラミッドさえもしのぐ世界最大の墓、『大仙陵古墳』も宮内庁の管理下に置かれ、学術的発掘さえも禁止している。ここを発掘すれば、いろいろな謎が解けるのではという、学者は少なくない。

近くで見るとわかるが、この古墳はあまりの巨大さに、雑木林の小山にしか見えない。それ故に日本の各所で何でもない山が実は古墳(=ピラミッド)ではないか、という話が後を絶たないのだ。

秦氏の末裔とされる氏族も多くいる。羽田元首相も遠い親戚にあたるという。
京都の秦氏の本拠地とされる場所は『太秦(うずまさ)』とよばれ、その呼び名は現在でも使われる。

はじめに降り立ったとされる、南九州の土地は『日向』と呼ばれ、『天孫降臨』と地として知られている。
幕末に活躍した薩摩藩士や、沖縄では誰もが知る島津氏も秦氏の末裔と言われる。

次回は、この島津氏の隠された謎についてふれていこう。



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『日ユ同祖論』…6


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2008/08/22(金) 09:43:48 | | #[ 編集]
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2007/10/30(火) 14:49:56 | URL | #-[ 編集]
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