自分探しの心の旅路
歴史、文化、政治、生活、芸術、様々な広い視野から、『自分は何者か』を探求し、読者の皆さんにも自分探しの道標となるべく、尽力して行きたい。
『日ユ同祖論』…8
ユダヤ人がどのようにして、日本までたどり着いたのか?

いろいろな考察がくり返されているが、アッシリア王の記述のとおり27,290人もの貴族階級がすべてではないにしろ、大挙して移動したとしたら、その従者や支持者でその数は10万人くらいになるであろう。

10万人という巨大な人間の団体が移動するとなったら、食事や宿泊や排せつなどがとっても大きな問題になって来る。
私自身も、イベントの運営などにおいてもっと少ない人数でもこの辺の問題で頭を悩ませるので、それが生半可な事ではないのはよくわかる。

民族の移動とは、想像よりもゆっくりとおこった事が考えられる。
おそらく4代も5代も、もしくは、それよりももっとゆっくり、定住しては移動しを繰り返し行われるのではないかと思われる。

そのために、いろんなところに痕跡を残したり、原住民と交わったりしていったのだろう。その移動の中でイデオロギーや生活習慣など、諸処変化がおこる事も考えられる。

歴史上の事実で、現在まで伝わるものはほんの一部でしかないはずだ。おおくの出来事は証拠や痕跡を残さず、歴史の闇に消えていったことだろう。
そのような、少ない手がかりの中で、遥か昔の歴史をたどったとしたら、いろいろなストーリーが描ける。

私が描くストーリーも、その中のほんの一部であると理解して欲しい。


まずは、写真を見て頂きたい。


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パキスタンの遺跡

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シュメール時代の石盤


パキスタン、タッタの遺跡には天皇家の菊花紋と同じものが描かれている。15~6世紀ころのもので、イスラムの遺跡だ。
「ただの偶然だよ」と考える事ももちろん出来るが、花びらが16枚で中心に円があるところまで一致しているのは、やはり驚きとしか言いようがない。

シュメール時代の石盤には、菊花紋と一緒に十字架も描かれている。これがおそらく現存する世界最古の菊花紋の一つかと思われる。

「シュメールと日本人の一致点」という観点で、少し見ていくとしよう。




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『日ユ同祖論』…9


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