自分探しの心の旅路
歴史、文化、政治、生活、芸術、様々な広い視野から、『自分は何者か』を探求し、読者の皆さんにも自分探しの道標となるべく、尽力して行きたい。
今なぜ?食品偽装問題
わたくしは東京にいる頃は外食産業のコンサルティング会社に在籍していたため、色々なお店のメニュー開発や企画、経営委託、新規オープンなどにたずさわりました。

それゆえ、重々把握していますが、食品の偽装など極々当たり前の事だし、鮮度の落ちたものは捨てずにそれなりの手間を施すか、まかないに回すかしたものです。

とはいえ、普通に良心のある人は偽装なんてしませんよ。
ただ、業界として当たり前だった。

マクドナルドは『牛肉100%』と偽っていた。
実際に生産している量より、販売している量が多ければ一目瞭然でしかない。

例えば売れはじめの『残○白』(沖縄泡盛の売り上げトップブランド)とか、あやしいったらないです。出来てから3年たたないと出荷しないはずの古酒が、「買う」という人がいるとどんどん出て来るおかしさ。
(まあ、沖縄の泡盛は昔からブレンドが当たり前なので、ブレンデッドのスコッチのように、いろいろな蔵の原酒を混ぜるという行程がありはしますが、それが品質重視ではなく、利益重視に利用されたときはいかがなものかと思います。しかも、泡盛のブレンドに関しては、一切の表示もなければ一般的な認識もないので、ほとんどの消費者はその事を知らないのです。)

食品偽装なのかなんなのか、わからない例をいくつか。

☆子持ちししゃも
一般的にスーパーなどで売られているものは、日本固有のししゃもとは違う、カペリンという北欧で取れる魚。

(日本国内では1970年代以降、同じキュウリウオ科の日本固有種・シシャモの代用品として、シシャモの名で流通してきたが、シシャモとはかなり味が異なり、またキュウリウオ科の中の系統的位置も必ずしもシシャモに近いとは言えない。)Wikiより

☆しめじ
「しめじ」と書いて売っているものは、しめじとは別物。

(「シメジ」あるいは「ツクリシメジ」「味シメジ」の名で全国的に流通しているキノコは、ヒラタケ科ヒラタケ属のヒラタケの栽培品である。ヒラタケは上記のホンシメジやブナシメジとは全く別のキノコである。これは、シメジ属のキノコは生きた木に寄生する性質のため栽培が極めて困難で、代用品として名前だけ借りて販売されたものがそのまま定着してしまったためである。現在、単に「シメジ」と言った場合、このヒラタケの栽培品を指す場合が多い。)Wikiより

本物のしめじは栽培は困難で、天然もののみ。松茸など目じゃない高級品。

☆片栗粉
片栗は植物。売っている片栗粉のほとんどは「じゃがいも粉」。
本物の片栗粉はとっても高価なもの。

では、次。

賞味期限切れの問題を、肯定するつもりは全くありません。
しかし、あえて言いたいことがあります。

お菓子にしろ、料理にしろ、早く食べてもらった方がおいしい、という事が多くある。
なので、賞味期限なんてものは、なるべく早く書いている事も多い。

何より、買った本人の保存や扱い方によって、日持ちの期間など何倍にも変わってくる。

販売者・製造者側に全ての責任を負わせるような考え方は、必ず社会を腐らせる。

例えばお店に並んだ賞味期限今日までの牛乳を買わないで、自分は賞味期限の長い新しいものばかり買って、それでマイバック持って来て、地球に優しいのかな?

もっと、地球全体を自分のお家みたいに、とらえられればいいのに。と思ってしまいます。

ともかく、なぜ偽装をするのか?

間違いなく『商売』のため。


そして今この時期に、食品偽装問題と言って騒ぐ事の意味は?
また何かもっと重大な事をうやむやにするためでは?

少し考えてみました。

病院だって、製薬会社だって、要は商売。

そう考えると、みんなが健康になって「めでたしめでたし」な訳はない。

「命に関わらなければ」「風邪をこじらす程度なら」という発想から、病原菌をまき散らす。

人間の倫理の番人であった宗教が、今の社会常識では少し気味の悪いものになってしまっている以上、いくら医師たちが「ヒポクラテスの誓い」だとか言った所で、どうなのだろう?と思ってしまいます。

30年前から、手塚治虫は『ブラックジャック』の中で、病院組織の矛盾は書いている。

一連の食品偽装問題とは、ケムトレイルへ疑念を社会の中でうやむやにする為の 『おとり』なのではないか?

そんな事を考えてみた。

人間のこんなたくらみの中にも、神事をちりばめる事が出来る神様はやはり偉大です。


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コメント
この記事へのコメント
コメントありがとうございます。
度々お寄りいただき、感謝します!

資本主義社会が崖っぷちに追いやられ、もう落ちる寸前、もしくは転落中に岩の突起に引っかかって宙ぶらりんになっている感じですね。

僕は個人的に『死』はとても楽しみです。
一度、死にかけた事があるのですが、とっても気持ちよさがありました。

『死』とは『誕生』と同じくらいすばらしいものだと受け止めています。
希望の死に方としては『即神仏』で、いわゆる絶食の末に死ぬ事を自ら決心するという境地になりたいと思っています。
それゆえ、現代の医療はとてもさみしく感じます。

ただ、あり塚は自然か?高層ビル群は自然か?遺伝子操作は自然か?といった問いに、まだ答えはみつけきれていません。
地球に生きる人間が、人間自身の生死を操作する事が、大宇宙の中ではたいした事ではないのかどうなのか?まだ検討もつきません。

しかし、それは明らかに『人間の運命』を悪い方向に誘う、という所は間違いないと思います。
これは単に『カン』ですが。
2007/12/21(金) 12:56:54 | URL | 木村信教 #-[ 編集]
今の医療も、「医療」と偽装した金儲けになってると思います。

延命治療と称して、不自然に生き長らえさせられて、病院側の金ヅルとして苦しむよりは、自然な死の方が幸せなのではないでしょうか?

患者の都合より、医者側、病院側の都合優先という感じです。

死とは逆に誕生に関しても、本来の自然な予定日を、カレンダーや病院側の都合により、薬で出産日を調整するというのは、占星学的に見て、生まれてくる命の人生を大きく狂わせる事になっているのかもしれません。

そんな産婦人科病院による出産よりも、24時間関係なしの、昔ながらの産婆さんによる出産の方が自然ですね。
誕生も寿命も、宇宙の流れで決められている自然な時を、医療側の人間の都合で変えてしまっているという事は、後々の世の中全体に不自然な影響を与える事になっているのではないでしょうか?
2007/12/20(木) 13:41:55 | URL | カッパ #-[ 編集]
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